【EDH】大乱闘スマッシュプレインズウォーカーズDX
2011年11月18日 MTG コメント (2)必要に駆られたのでもう一度。
http://no5matplay.diarynote.jp/201111142231532420/
愛知のカジュアルなEDHコミュニティを構築するため、マッティーさんが一肌脱いでくださるそうです。
ただ無責任に個人の判断に任せて好き放題棲み分けれ棲み分けれ言ってるだけの俺と違い、こうして行動を起こしてくださる人の何と貴重なことか。
会場はぶっちゃけ遠いので俺は行かないと思いますが、ここで宣伝等させて頂けたらと思います。頑張ってください。
さて、まだあちこちで燻っているらしいガチ/カジュアル論争なわけだけれども。
ガチ派の急先鋒としていろいろ好き放題発言し、ガチ派の筆頭広告主みたいな立場になってるらしい俺としてはまだエントリ立てる必要があるみたいなのでこの場を使ってもう一度色々好き放題発言したいと思う。
まず最初に断わっておきたいが、マッティーさんのところにあった「なめたデッキで大会にでるな」「ガチとカジュアルは棲み分けが必要」「カジュアルプレイヤーは引きこもって大会にでるな」とか言ってたのはたぶん全部俺だぁ!!
俺としてはこんな発言した記憶はないが、それ以上に美嶋の人間でこういう発言しそうな人間が俺以外に居ねぇ!ってことは俺だろ!どうも申し訳ありませんでした!
えー誤解を招きそうなので一応。
美嶋屋には「大会にくんな」という人間はほとんどいないです。俺ぐらいじゃないでしょうか。ましてや公衆の面前でそういう事言ってるような人間なんて俺しかいないはずで。
だからたぶん、俺の発言を聞いてた人がニュアンスを取り違えてこういう風に解釈したんじゃないかな、と。
俺の意図を正しく解説するとこうなります。
「カジュアルなプレイヤーが、カジュアルなゲームができると期待してサイドイベントに来ると、金払って座ってるだけになるので嫌な思いしかしないと思う。それならば最初から来ないほうがいい」
ハッキリ言いますが、当時(PT名古屋だそうです)は現在よりガチな人とカジュアルな人のデッキの差が激しく、カジュアルな人を何もさせない自信は当時からありました。
というか当時は高速コンボ全盛期だったので今より作業感はむしろ激しいとおもいます。
統率者、当時は正式にEDHという名前だったこのゲームの黎明期において、愛知にEDHのデッキを持ち込み、この地域に定着させようと遊生さんが奮闘していたとき。
こんな言葉をぽつりと言っていたのが印象に残ってます。
「EDHはプチヴィンテージだから」
皆様が所持しているデッキ、ヴィンテージの舞台に出して戦える!とはっきり言い切れますか?俺は言い切れますが。
他人にデッキ貸したら「ショーケースでしか見たことないカードのオンパレード」とか言われたこともあります。本気で勝つ為にやったらこんなもんです。3色以上なら足回りを固めるためにデュアランフェッチのフル搭載を当然として、超テンポ環境における切り札のMana DrainやらMoxシリーズを上回る最強マナ加速の一つMana Cryptやら究極のランドMishra’s Workshopやら。ハーミットドルイドを使用するデッキならBazaar of Baghdadは無いと困るでしょうし。
もちろんこれらはなくても勝てます。そりゃ勝てますが、あったほうが強いのは間違いないですし実際にこれらのおかげで勝負を決めることなど数限りないわけです。ギャハハハ伝国の玉璽マジつえぇー!
自重しなきゃこんなもんなんですよ、このフォーマット。何がカジュアルなんだか。
公式には何やら「プレイヤー側が自重してね☆」とか書いてありますが。知ったことではないです。勝つこと自体が面白いんですから。
で、そうやってデッキをひたすら強化研鑽していくとヴィンテージになるんですよ。
使いたいカードを使ってるデッキって一般的にはファンデッキって言うはずですが、ファンデッキVSヴィンテージの争いが勃発する、と言ったら、皆様はその結末がどうなるか容易く想像できるはずです。
世の中には金払って座ってるだけのゲームに楽しさを感じる方も居るかもしれませんが、少なくとも俺は嫌です。負けるならマトモにゲームした結果負けたい。
だから、おそらく楽しめないであろうフィールドにわざわざ来る必要はないんじゃないですか、というのが冒頭の主張です。大会で商品が賭けられてしまう限り、賞品目当てにやってくるガチプレイヤーは存在しますから。
ガチプレイヤー(俺みたいな)の性質の悪いところは、それがゲームとしては明らかに正しい方向性であること。
どれだけパーティゲームだ、カジュアルなフォーマットだと言い張っても、勝敗という結果を出さなければいけないゲームである以上、確かに勝利に全力を尽くすことは楽しみ方の一つの側面として存在します。それがすべてではないにしても。
もともとMTGというゲームはガチガチの勝利至上主義のゲームです。
ではなぜガチガチの勝利至上主義ゲームでないEDHが流行したのかと言えば、それはカード1枚1枚の魅力が大きいから。フレイバーや世界観、弱そうだけど面白い効果などなど、Wizardsが今まで苦労に苦労を重ねて整備してきたこのゲームそのものに魅力があるからに他なりません。
そんな「使いたいカード」を真に使うフォーマットは今まで無かった。だからEDHは流行したのです。
このフォーマットをカジュアルに楽しみたい、という方は例外なくMTGが大好きでしょう。
プレイすること自体に魅力を感じる、というレベルにまでMTGというゲームの魅力は高まっている。素晴らしいことです。
俺はもともとアーケードゲーム出身のゲーマーであり、厳密にいえばMTGプレイヤーではありません。しいて区分を設けるならMTGも嗜むアーケードゲーマーです。
ゲームに対して俺が求めるものは俺TUEE出来る場を提供してくれる場であり続けること、それのみであり、カード1枚への思い入れっていうのはたぶん本当にカジュアルなMTGも楽しめるプレイヤーと比べると薄い。
別に好きなカードが無いとは言いませんが、それと勝利の魅力を天秤にかけたらカードを容易く捨てられる、ということです。
美嶋屋はMTGで良くも悪くも有名ですが、少なくとも美嶋の内部で俺が入り浸っているコミュニティは「MTGをしたい集まり」ではありません。美嶋屋でワイワイ楽しみたい集まりです。DSやPSPで遊んでたりカタンやったりもしてますし、へヴィゲーマーの集まりなんでゲーセンの話題でも盛り上がります。エクバとか。
こういった土壌でしたので、好きなカードを使って楽しむでなく、ただ「新しいフォーマットがある」程度の認識でどっぷりはまり込んでいった面子が多かったのです。結果として音に聞こえる一大ガチ勢力が出来上がったと。
・・・まぁこうなった背景にとあるプレイヤーが居ることは確かなんですが、その話はいずれまた。
結局のところ、格闘ゲーム的な勝利至上主義ゲームというのが今までのMTGの各フォーマットであり、その中にぽつんとRPGよろしく「プレイすることが目的」というフォーマットが置かれた、というのが現在の状態で、それに関しても他フォーマット同様に勝利のみを目標として遊ぶプレイヤーが出るというのは不可避だったはずです。
ゲーセンでは昔からこういうカジュアルな層を取り込むための苦心をしつつ、本質としては勝利至上主義である、という構図が続いています。
エクバのシャッフル台なんかもそうですが、魅力的なキャラを出してキャラで釣るっていう手法は遠い昔からのものです。
どちらの客も同様に取り込みたい。ですがゲーセンのゲームはいつか勝敗をつけなければなりません。ゲーセンではカジュアルな層はいつも迫害の対象であり、そういったカジュアルなプレイヤーはガチプレイヤーに勝てるはずもなく瞬殺されていったのです。乱入を拒否するシステムを搭載したゲームもありましたが、そのシステムは非難の対象となり消えていきました。あぁサイキックフォース・・・お前いいゲームだったのになぜ・・・(インカムの回転率とかそういう話はここではカットします)
ずーっと昔からこういう話題は続いているんですよ。決着がついてないだけで。
それでもアーケードでは昔から続く空気から「勝てないほうが悪い」「好きなキャラ使って1プレイできるだけで満足しろ、負けても文句言うな」という風潮は根強い。
しかし、それでもなおカジュアルな層を取り込む努力が続けられるのは、そうしたほうが明らかに儲かるからです。ガンガンでシャッフル台が無かったらと考えるとぞっとしませんか?各地で撤去祭りになっていたかも。
格ゲータイプのプレイヤー、RPGタイプのプレイヤー両方を満足させるシステムならまだマシなんですが、EDHは残念ながらそうではありません。
2T目に隠遁ドルイドが起動されたら他のプレイヤーは死にますし、2T目に生き埋めからウーズが釣られたら他のプレイヤーは死にます。
そこまでではないにしてもジン=ギタクシアスが速攻で出てきたら抵抗手段は封じられますしシッセイがマナ拘束クリーチャーを連打してきたら手札はあっても何もできません。
使用できるカードの種類とは、そのままデッキの性能差につながります。
MTGはあまりにも歴史が長すぎ、カードの種類も多すぎる。俺が知る限り、電源非電源問わず全てのゲームの中で最もバランスの悪いゲームがコレです。
もちろんそうなったのはリミテッドという、これ単体を取ってみれば非常に素晴らしいシステムのためであり、非難される対象ではないのですが。
幸いにして、EDHのプレイヤーはアーケードゲームよりもはるかに人数が多く、棲み分けをしてなお十分にゲームできるほどのプレイヤーが居ます。
ならばわざわざ金払って座ってるだけ、な卓に来なくとも、楽しめる卓を探せば良いのではないでしょうか。
そして今回、そのために新たに場を設けてくださる、とのことです。これは行かない手はないでしょう。
個人的にはまず「大会で商品を賭けるのをやめる」「勝敗を評価性にする」とかの措置を公式で取るのが最優先だと思うんですけどね。
俺らみたいなゲーマーは、まず「与えられた選択肢のなかからベストを尽くす」というのが当然という考え方ですので、公式でそういう態度を取ればそれに従います。
不幸なことにEDHの公式はクソ舐めた態度でバランス取りなど放棄しっぱなしなので、今のところは非公式な立場でローカルルールを制定する、という程度にとどまってしまうのですが。
こういったローカルルールも、ムーブメントとして全国に広がっていけばまた公式、少なくともGPやPTのイベントスタッフも再考してもらえるのかなぁと思いますが、今のところは夢物語ですよね・・・
余談。
電源系ゲームでもこういう問題に立ち向かってきたゲームなんてのは言うまでもなくあります。
その一つが表題の「大乱闘スマッシュブラザーズDX(GC)」。
これ、システムの中に「評価制乱闘」ってのがありまして、内容はEDHの評価制と殆ど一致します。
評価を下すのがコンピューターなので、内容は「華麗なプレイ」には程遠いワンパターン戦法のほうが評価が高いというシステム的欠陥があり、流行はしませんでしたけれど。
続編のスマッシュブラザーズXではどうなったかというと、評価性乱闘は消滅した代わりに根本的に棲み分けが可能なフレンドコードっていうシステムが登場しました。
この素晴らしいシステム導入のおかげで、スマブラは大人も子供もおねーさんもガチもカジュアルも終点タイマンもアイテムあり乱闘も楽しめる神ゲーとして長く楽しまれることとなったのです。
結局俺らが考えてることなんて、その道のプロからすればすでに通過済みなんですってば。何をそんな昔の話題でグダグダ言ってるんですかって感じ。
しかし桜井さんのゲームは最高だな、と妊娠っぽい台詞を吐きながら今回の記事はおしまい。ご清聴ありがとうございました。
http://no5matplay.diarynote.jp/201111142231532420/
愛知のカジュアルなEDHコミュニティを構築するため、マッティーさんが一肌脱いでくださるそうです。
ただ無責任に個人の判断に任せて好き放題棲み分けれ棲み分けれ言ってるだけの俺と違い、こうして行動を起こしてくださる人の何と貴重なことか。
会場はぶっちゃけ遠いので俺は行かないと思いますが、ここで宣伝等させて頂けたらと思います。頑張ってください。
さて、まだあちこちで燻っているらしいガチ/カジュアル論争なわけだけれども。
ガチ派の急先鋒としていろいろ好き放題発言し、ガチ派の筆頭広告主みたいな立場になってるらしい俺としてはまだエントリ立てる必要があるみたいなのでこの場を使ってもう一度色々好き放題発言したいと思う。
まず最初に断わっておきたいが、マッティーさんのところにあった「なめたデッキで大会にでるな」「ガチとカジュアルは棲み分けが必要」「カジュアルプレイヤーは引きこもって大会にでるな」とか言ってたのはたぶん全部俺だぁ!!
俺としてはこんな発言した記憶はないが、それ以上に美嶋の人間でこういう発言しそうな人間が俺以外に居ねぇ!ってことは俺だろ!どうも申し訳ありませんでした!
えー誤解を招きそうなので一応。
美嶋屋には「大会にくんな」という人間はほとんどいないです。俺ぐらいじゃないでしょうか。ましてや公衆の面前でそういう事言ってるような人間なんて俺しかいないはずで。
だからたぶん、俺の発言を聞いてた人がニュアンスを取り違えてこういう風に解釈したんじゃないかな、と。
俺の意図を正しく解説するとこうなります。
「カジュアルなプレイヤーが、カジュアルなゲームができると期待してサイドイベントに来ると、金払って座ってるだけになるので嫌な思いしかしないと思う。それならば最初から来ないほうがいい」
ハッキリ言いますが、当時(PT名古屋だそうです)は現在よりガチな人とカジュアルな人のデッキの差が激しく、カジュアルな人を何もさせない自信は当時からありました。
というか当時は高速コンボ全盛期だったので今より作業感はむしろ激しいとおもいます。
統率者、当時は正式にEDHという名前だったこのゲームの黎明期において、愛知にEDHのデッキを持ち込み、この地域に定着させようと遊生さんが奮闘していたとき。
こんな言葉をぽつりと言っていたのが印象に残ってます。
「EDHはプチヴィンテージだから」
皆様が所持しているデッキ、ヴィンテージの舞台に出して戦える!とはっきり言い切れますか?俺は言い切れますが。
他人にデッキ貸したら「ショーケースでしか見たことないカードのオンパレード」とか言われたこともあります。本気で勝つ為にやったらこんなもんです。3色以上なら足回りを固めるためにデュアランフェッチのフル搭載を当然として、超テンポ環境における切り札のMana DrainやらMoxシリーズを上回る最強マナ加速の一つMana Cryptやら究極のランドMishra’s Workshopやら。ハーミットドルイドを使用するデッキならBazaar of Baghdadは無いと困るでしょうし。
もちろんこれらはなくても勝てます。そりゃ勝てますが、あったほうが強いのは間違いないですし実際にこれらのおかげで勝負を決めることなど数限りないわけです。ギャハハハ伝国の玉璽マジつえぇー!
自重しなきゃこんなもんなんですよ、このフォーマット。何がカジュアルなんだか。
公式には何やら「プレイヤー側が自重してね☆」とか書いてありますが。知ったことではないです。勝つこと自体が面白いんですから。
で、そうやってデッキをひたすら強化研鑽していくとヴィンテージになるんですよ。
使いたいカードを使ってるデッキって一般的にはファンデッキって言うはずですが、ファンデッキVSヴィンテージの争いが勃発する、と言ったら、皆様はその結末がどうなるか容易く想像できるはずです。
世の中には金払って座ってるだけのゲームに楽しさを感じる方も居るかもしれませんが、少なくとも俺は嫌です。負けるならマトモにゲームした結果負けたい。
だから、おそらく楽しめないであろうフィールドにわざわざ来る必要はないんじゃないですか、というのが冒頭の主張です。大会で商品が賭けられてしまう限り、賞品目当てにやってくるガチプレイヤーは存在しますから。
ガチプレイヤー(俺みたいな)の性質の悪いところは、それがゲームとしては明らかに正しい方向性であること。
どれだけパーティゲームだ、カジュアルなフォーマットだと言い張っても、勝敗という結果を出さなければいけないゲームである以上、確かに勝利に全力を尽くすことは楽しみ方の一つの側面として存在します。それがすべてではないにしても。
もともとMTGというゲームはガチガチの勝利至上主義のゲームです。
ではなぜガチガチの勝利至上主義ゲームでないEDHが流行したのかと言えば、それはカード1枚1枚の魅力が大きいから。フレイバーや世界観、弱そうだけど面白い効果などなど、Wizardsが今まで苦労に苦労を重ねて整備してきたこのゲームそのものに魅力があるからに他なりません。
そんな「使いたいカード」を真に使うフォーマットは今まで無かった。だからEDHは流行したのです。
このフォーマットをカジュアルに楽しみたい、という方は例外なくMTGが大好きでしょう。
プレイすること自体に魅力を感じる、というレベルにまでMTGというゲームの魅力は高まっている。素晴らしいことです。
俺はもともとアーケードゲーム出身のゲーマーであり、厳密にいえばMTGプレイヤーではありません。しいて区分を設けるならMTGも嗜むアーケードゲーマーです。
ゲームに対して俺が求めるものは俺TUEE出来る場を提供してくれる場であり続けること、それのみであり、カード1枚への思い入れっていうのはたぶん本当にカジュアルなMTGも楽しめるプレイヤーと比べると薄い。
別に好きなカードが無いとは言いませんが、それと勝利の魅力を天秤にかけたらカードを容易く捨てられる、ということです。
美嶋屋はMTGで良くも悪くも有名ですが、少なくとも美嶋の内部で俺が入り浸っているコミュニティは「MTGをしたい集まり」ではありません。美嶋屋でワイワイ楽しみたい集まりです。DSやPSPで遊んでたりカタンやったりもしてますし、へヴィゲーマーの集まりなんでゲーセンの話題でも盛り上がります。エクバとか。
こういった土壌でしたので、好きなカードを使って楽しむでなく、ただ「新しいフォーマットがある」程度の認識でどっぷりはまり込んでいった面子が多かったのです。結果として音に聞こえる一大ガチ勢力が出来上がったと。
・・・まぁこうなった背景にとあるプレイヤーが居ることは確かなんですが、その話はいずれまた。
結局のところ、格闘ゲーム的な勝利至上主義ゲームというのが今までのMTGの各フォーマットであり、その中にぽつんとRPGよろしく「プレイすることが目的」というフォーマットが置かれた、というのが現在の状態で、それに関しても他フォーマット同様に勝利のみを目標として遊ぶプレイヤーが出るというのは不可避だったはずです。
ゲーセンでは昔からこういうカジュアルな層を取り込むための苦心をしつつ、本質としては勝利至上主義である、という構図が続いています。
エクバのシャッフル台なんかもそうですが、魅力的なキャラを出してキャラで釣るっていう手法は遠い昔からのものです。
どちらの客も同様に取り込みたい。ですがゲーセンのゲームはいつか勝敗をつけなければなりません。ゲーセンではカジュアルな層はいつも迫害の対象であり、そういったカジュアルなプレイヤーはガチプレイヤーに勝てるはずもなく瞬殺されていったのです。乱入を拒否するシステムを搭載したゲームもありましたが、そのシステムは非難の対象となり消えていきました。あぁサイキックフォース・・・お前いいゲームだったのになぜ・・・(インカムの回転率とかそういう話はここではカットします)
ずーっと昔からこういう話題は続いているんですよ。決着がついてないだけで。
それでもアーケードでは昔から続く空気から「勝てないほうが悪い」「好きなキャラ使って1プレイできるだけで満足しろ、負けても文句言うな」という風潮は根強い。
しかし、それでもなおカジュアルな層を取り込む努力が続けられるのは、そうしたほうが明らかに儲かるからです。ガンガンでシャッフル台が無かったらと考えるとぞっとしませんか?各地で撤去祭りになっていたかも。
格ゲータイプのプレイヤー、RPGタイプのプレイヤー両方を満足させるシステムならまだマシなんですが、EDHは残念ながらそうではありません。
2T目に隠遁ドルイドが起動されたら他のプレイヤーは死にますし、2T目に生き埋めからウーズが釣られたら他のプレイヤーは死にます。
そこまでではないにしてもジン=ギタクシアスが速攻で出てきたら抵抗手段は封じられますしシッセイがマナ拘束クリーチャーを連打してきたら手札はあっても何もできません。
使用できるカードの種類とは、そのままデッキの性能差につながります。
MTGはあまりにも歴史が長すぎ、カードの種類も多すぎる。俺が知る限り、電源非電源問わず全てのゲームの中で最もバランスの悪いゲームがコレです。
もちろんそうなったのはリミテッドという、これ単体を取ってみれば非常に素晴らしいシステムのためであり、非難される対象ではないのですが。
幸いにして、EDHのプレイヤーはアーケードゲームよりもはるかに人数が多く、棲み分けをしてなお十分にゲームできるほどのプレイヤーが居ます。
ならばわざわざ金払って座ってるだけ、な卓に来なくとも、楽しめる卓を探せば良いのではないでしょうか。
そして今回、そのために新たに場を設けてくださる、とのことです。これは行かない手はないでしょう。
個人的にはまず「大会で商品を賭けるのをやめる」「勝敗を評価性にする」とかの措置を公式で取るのが最優先だと思うんですけどね。
俺らみたいなゲーマーは、まず「与えられた選択肢のなかからベストを尽くす」というのが当然という考え方ですので、公式でそういう態度を取ればそれに従います。
不幸なことにEDHの公式はクソ舐めた態度でバランス取りなど放棄しっぱなしなので、今のところは非公式な立場でローカルルールを制定する、という程度にとどまってしまうのですが。
こういったローカルルールも、ムーブメントとして全国に広がっていけばまた公式、少なくともGPやPTのイベントスタッフも再考してもらえるのかなぁと思いますが、今のところは夢物語ですよね・・・
余談。
電源系ゲームでもこういう問題に立ち向かってきたゲームなんてのは言うまでもなくあります。
その一つが表題の「大乱闘スマッシュブラザーズDX(GC)」。
これ、システムの中に「評価制乱闘」ってのがありまして、内容はEDHの評価制と殆ど一致します。
評価を下すのがコンピューターなので、内容は「華麗なプレイ」には程遠いワンパターン戦法のほうが評価が高いというシステム的欠陥があり、流行はしませんでしたけれど。
続編のスマッシュブラザーズXではどうなったかというと、評価性乱闘は消滅した代わりに根本的に棲み分けが可能なフレンドコードっていうシステムが登場しました。
この素晴らしいシステム導入のおかげで、スマブラは大人も子供もおねーさんもガチもカジュアルも終点タイマンもアイテムあり乱闘も楽しめる神ゲーとして長く楽しまれることとなったのです。
結局俺らが考えてることなんて、その道のプロからすればすでに通過済みなんですってば。何をそんな昔の話題でグダグダ言ってるんですかって感じ。
しかし桜井さんのゲームは最高だな、と妊娠っぽい台詞を吐きながら今回の記事はおしまい。ご清聴ありがとうございました。
コメント
なにせ、その時は大鍋さんは僕の友達とサイドイベントでEDHまわしてましたからね。
えーでも美嶋には大会来ないほうが良いよ、なんていうせめてもの温情をかけるようなプレイヤーよりも
「え、そんなデッキでいいんですか?やったー1パックゲットー^^」っていう情け容赦ない態度のプレイヤーのほうが圧倒的に多いというかそういう奴しかいないはずなんだけど!
まぁPT名古屋って結構前だから言った本人ですらもう覚えてねーと思うけど、一応聞いときますわ。